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五香のつぶやき

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松本城の初代城主石川数正

宅建松戸支部の有志で7年ぶりの信州へバス旅行へ行きました。


観光のメインは松本城でした。現存する12の城の一つでお堀に囲まれた平城の
水面に映し出された雄姿を見れば現地に来た甲斐があります。

平城なので籠城して戦う城ではありません。豊臣秀吉が北条氏を破り天下統一し
天守を築造し権勢を誇るための城だったのでしょう。

秀吉が築造当初の城主に据えたのは石川数正である。

徳川家康の側近中の側近が豊臣方に寝返ったことで有名な人物である。

戦国時代における家臣は戦に勝って褒賞を得るのが目的であり、形勢が悪ければ
自軍を寝返ることは珍しい事ではないが、数正ともあろう家臣が命を惜しんで
寝返ったというは非常に考えづらい。

逆に家康が豊臣家の中へ送り込んだのだ という考えの識者もいるようだが

今放映中の大河ドラマ『どうする家康』では徳川軍は客観的に見て豊臣軍には
到底かなわないと感じており、秀吉のヘッドハンティングの乗って、徳川軍が
戦で相まみれぬ様、自ら悪者になり出奔したようにドラマは進められていた。

実際もこの石川家代々も家康の悪口は一切伝わっていないと言うところから、
ドラマのような感情で出奔されたとも思える。

家康幼少時代は今川家に人質として過ごしていた時から世話役としてお側に
付いていた側近中の側近の数正である。

ドラマが描いたように家康が好き過ぎてとんでもない行動を起こした
と言うのがボクの見解である。

 岡田 純