平成の三四郎逝く
オリンピックの国民が最も感動した名シーンの一つに挙げられるバルセロナ五輪
柔道71キロ級金メダルの古賀稔彦氏が3月24日亡くなった。
ボクにとってもこの訃報はびっくりし、また悲しく残念でならない。
古賀を語るのはこれに尽きる、バルセロナ五輪本番前の後輩の78キロ級
吉田秀彦との乱取りでのアクシデント、膝に大けがを負いながらも
金メダルを取る精神力 これは究極の美学と言うに値するだろう。
そして既に金メダルを手にしていた吉田の喜び様は尋常なものではなかった。
それだけ吉田は罪悪感を持っていたのであろう。自分が金で古賀が銀では
どうお詫びをしていいかと思い、決勝戦を見守っていたに違いない。
しかし後日談では吉田をかばった発言だったかもしれないが、
前々から膝は負傷していて吉田には悪い思いをさせていたと古賀は言っていた。
いや~かっこ良すぎるぜ。
この金メダルには前章があります。1990年のソウル五輪では金メダル確実と
言われながらも3回戦負け、その悪夢を振り払うため全日本選手権に
75キロくらいしかない体で無差別級に出場
95キロ超銀メダリストであり元格闘家である小川直也との決勝で一本負けし
準優勝となったが、自分なりのけじめをつけた無謀な挑戦も古賀を語る
省いてはならない逸話となった。
その後のバルセロナ五輪なので膝の負傷が酷かろうが出場し、負けても
仕方ない局面で優勝を成し遂げる、これは神に近い武道家と言うべき人物である。
小さい体で大きな相手を倒す、それも一本勝ちでバッタバッタと
それゆえ平成の三四郎と呼ばれるに至ったのである。
享年53歳 癌が憎い まだまだ後進を指導し第二の古賀、第三の古賀を
育て上げて欲しかった。
ご冥福を祈ります。